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Re 錫杖

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月20日(日)09時01分29秒
返信・引用
  結晶偏頑様

ありがとうございます。
今日は関東は落雷の多発に見舞われ、大変な天気でしたが
セントエルモの火は、落雷直前にみられる現象だそうです。
電気は雷雲から地上に落ちるのですが
直前には地上からも”呼び水”のような発雷現象が見られ
尖ったもの、例えばアンテナ、避雷針、指の先などに発光となって現れるものです。
指の先でも、特にビリビリした感じや熱さはないとのことです。
当然、夜しか見づらく、雷雲の中の高山の方が観察しやすいので
ブロッケンと違い、目撃例は非常に少ないと思います。
それだけに、松長先生の記載は貴重です。
小生は、若い頃、標高500mくらいの山の上の病院で当直したことがあるのですが
夜中にお亡くなりになった方をお見送りした後
病院から歩いて宿舎に戻る時に、目撃しました。
季節は真冬で雷は鳴っていませんでしたが、周囲は少しガスッていて
突然、近くの木の上に青白い閃光が数秒間点るのを見てビックリしました。
火の玉のようなフワフワしたものではなく、本当にスパークのような強い光でしたので
セントエルモの火、あるいは球雷のような現象ではなかったかと思います。
怖いというよりは、余りの美しさに呆然としていたという方が正直でしょう。
それでも、真夜中の山中で独りでそんなものを目撃すると、背筋に寒いものが走り
発光の後の暗闇が、ことさらに不気味で
宿舎に逃げ込んで朝まで眠れなかったのを覚えています。
翌日、病棟で、昨夜、火の玉みたいなものを見てしまったと看護師に言ったのですが
「そんなことはよくあります。」と平然としていたのには二度ビックリしました。
懐かしい貴重な体験でした。

愛媛県人様

愛媛大学ミュージアム、残念でしたね。
ここは、皆川鉄雄先生が展示の全面的な指南をされていますので
四国の鉱物については、もっとも充実していると思います。
ぜひ、また見学して下さい。
創設当時は、小生は展示よりも清楚なコンシェルジュの方に目を奪われてしまいました。(^^;

http://userweb.shikoku.ne.jp/mineral/nikki-14.htm

今はどうなのでしょうか?・・・

では、また。

 
 

愛媛の地質

 投稿者:愛媛県人  投稿日:2017年 8月19日(土)21時52分2秒
返信・引用
  管理さん。
こんばんは。

今日。松山市にある愛媛大学に寄って来ました。
お目当は、愛大ミュージアムにある岩石の標本や化石を見る事でしたが、時間が遅く着いたので、閉まってました。

でも、入り口付近に愛媛の地質というホーラムの垂れ幕を確認しました。
是非、聴講したいと思いました(^^)
 

Re 錫杖

 投稿者:結晶偏頑  投稿日:2017年 8月17日(木)00時53分8秒
返信・引用 編集済
  管理人様 ありがとうございます。

登山部仲間の間でも、金具からだんだんそれに近い方向になっていきました。
短刀かもしれないといったのは私だと思います。
錫杖にも長柄の、杖のタイプがありますよね。あれで地を突くと、シャンと心地よい音色でした。

いつか登山の途中で、修験者が新しく付け替えた柄の具合がしっくりしないのか、路傍で削っているところに出会いました。
その道具が短刀でした。修験者はこういうものも、持っているのかと思いました。
見た目にとても立派で切れそうでした。

それにしても、いまこうしていると、昔のことを意外と記憶しているなと自分でも感心しています。
知りたいという、好奇心が人一倍強いのでそれが原動力のようです。
大学生が天柱石の上で見たものは、なんだったのだろうという疑問が一つ解けました。

セントエルモの火というのは知りませんでしたが、ブロッケンは天狗岳の頂上でばっちり捉えました。
ただ、日照が少し弱くて、虹のリングは現れませんでした。

昭和28年の国体は、新居浜が重量挙げの会場となって、たしか宮西小学校の講堂へ父と観に行きました。
下の写真は、通っていた小学校から、ポスターの公募に応じて入選し、賞として頂いたものです。
桐の箱に入っていたのに、どうしたのか無くなっていましたが、でも、好い記念です。

昭和30年代の後期、この国体のため開発されたという、
丸滝(マルタビ)→番匠谷(面河川の最上流部)→関門までのコースを歩いたことがあります。

丸滝から番匠谷へは、長くとても急な下りで、番匠谷から関門までは、谷川沿いに処によっては川の中を歩くといったコースでした。

「下ったから好いようなものの、登りはとてもかなわんな」と話しあった記憶があります。
数年後 別の山仲間が番匠谷まで下ったものの増水で、危険と判断し引き返したが、
登りの途中で、メンバーが次々と動けなくなり難儀したということで、思案したことが起こっていました。
その後、あの道はもう老けてしまって歩けないということのようでした。

石村御大は、私が本格的に部の行事に関わるようになったのと逆に、部の行事からは少し遠くなっていました。
それは本来業務の部長職の比重が大きくなったのと、岳連や公的な行事とのお付き合いがの方が多くて、そちらのほうへという具合でした。

当時 部長と言えばもう雲上人で、昼食も社員食堂ではなく、部長室に別メニューが届き、
通勤は黒塗りの車で送り迎えという身分でしたが、石村部長は徒歩で時には登山靴でした。

とても気さくな方で、創部以来の先輩方でも、呼ぶときは全部ニックネームで、
新人駆け出しの私ごときは、いつも「おいボクよ」と呼び捨てでした。

あのころが懐かしく思い出されます。








 

天柱石の遺物は錫杖でした!

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月15日(火)23時09分46秒
返信・引用
  結晶偏頑様

何度もすみません。
松長先生の編集された「愛媛県山岳連盟三十周年史」(昭和56年発行)に記載されていました。
「昭和26年10月、お塔谷天柱石に初登攀した松山農大の3人は頂上で行者の錫杖を見ている。
谷野芳輝先生が厳冬の石鎚山に登ったら女の行者が独り三ノ鎖上のホコラの前で十指の生ツメから
血を出してお経を唱えていたのには戦慄を覚えたことを話されたから
信仰の山は山岳人よりさきに信者が登っていたものだろう。」とありました。
その錫杖・・以前に面河山岳博物館に展示されていたように思うのですが・・ちょっと記憶があいまいです。
それにしても、信仰の力はすごいですね。

では。

 

Re:Re 天柱石の記事

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月15日(火)21時52分17秒
返信・引用
  結晶偏頑様

ありがとうございます。
春山錬成登山の写真・・小さいですが確かに結晶偏頑様と同定できます。
松長先生は貫禄十分ですね。石村御大も参加されたのですか。
とにかく、松長晴利先生の文章は、ただ登山の技術だけでなく
その山の歴史、地質、生物、気象に至るまで
非常に博学で、岳人の憧れの的であったと聞いています。
昭和28年の第8回国体を大成功させた功労者としても伝説的な指導者です。
松長先生の編集された「山と高原地図 石鎚山」(昭文社)は
今も大切に保存しています。
石鎚山で、「セントエルモの火」が観察できるのを、このガイドブックで初めて知りました。
ブロッケンはともかく、セントエルモの火を目撃するのは
よほど登山を繰り返していないと困難ではないかと思います。
結晶偏頑様はいかがですか?
指先に点った青白い火にうっとりしていると雷が落ちますので注意が必要ですが・・・
最近の、縦走タイムを競ったり、ピークハントを重ねることだけを目的とする
スポーツ登山とは、またひと味違う、「山を愛し山を畏れる」真の岳人の奥深さを感じる次第です。
最近のガイドブックを見ても、こういう奥の深い癖のある名文には巡り会えなくなりました。
小生もまた、歳をとったということでしょうか。
「ういがなる谷」は、昭和19年、愛媛師範学校教授の片岡亀寿先生が遭難されたところ・・
春山のスキー単独登山で雪崩に巻き込まれて亡くなりました。季節は同じ頃だったと思います。
遺体は奇しくも49日目に発見されたとのことです。
遭難の詳細は、小暮照氏の「石鎚気象遭難」に書かれています。
片岡先生の後任が、龍河洞で有名な山内浩先生だそうです。

では、また。
 

Re: 国立科学博物館企画展 深海

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月15日(火)21時07分27秒
返信・引用
  愛媛県人様

「深海」展、大変面白そうですね。
小生も機会があれば行って見たいです。
そういえば、国立科学博物館の地球館の方には
深海やチムニーの常設ジオラマがありましたよね。
三波川帯結晶片岩に含まれる方解石や石英なども
多くは生物由来ではないかと言われています。
方解石までは理解できるのですが、石英までと言われると、一寸ビックリです。
別子銅山にも、大量の石灰岩の存在する場所が知られています。
岩石の起源は、結構、生物起源が多く、非常に複雑で面白いと思います。
中国産の輝安鉱・・先端が平べったいのが特徴です。
最近は市之川産と偽って中国産を売る業者もあるみたいですから
注意が必要です。
中国産の結晶も、結構美しく侮れませんからね。

とりいそぎ。



 

Re 天柱石の記事

 投稿者:結晶偏頑  投稿日:2017年 8月15日(火)11時58分14秒
返信・引用 編集済
  管理人様
早速の資料の掲示ありがとうございます。
登攀者の顔が見られるとは。・・・こういう資料がすぐにでてくるところが敬服しきりです。
若くして遭難死されたのですか。・・・哀悼!

8月6日のときにも書き込みましたが、私が読んで記憶していたのは、「修行の跡」だったと思います。

それが当時 登山部の集まりでも話題になり、跡というのが身に着けているものだった、
ということになっていて、じゃあそれはなんだ?、紙や木の御札では早晩 風雨に飛ばされ、朽ちて無くなるから金具だろうと、・・・短刀や錫杖か・・・などいろいろ。

先輩がいうには、修験者といえども、個々、宗派間で先陣を競っていたこともあっただろうし、
そうなれば、それと分かるのは金具だろうということになっていきました。

その金具というのは、何なんだろうと気になり、石鎚でフル装備の修験者に出会うと、身辺を詮索しながら眺めていました。
しかし、所属していた当時の登山部は、伝統的に「岩よりも沢」、だったので話題はそれ以上発展することはありませんでした。

話は先に戻りますが、焚火の跡だったのではないか、というのはかなり信憑性があると思います。
古代遺跡などでも、カマドの石についた煤や炭が当時のまま発見されるということがあって、
考古学者も、炭素は非常に安定した物質なので、永久的に残ると解説されていますし。

私が読んだ本は、管理人様掲載の松長先生著の「四国の山と谷」だったと思います。
松長先生は当時、県岳連の会長をされていて、公的な行事の時などは開閉会の時、挨拶されるのを遠くから拝聴していました。

また、たまには「春山練成会」にもお出ましになり、挨拶や訓示をされることがありました。

上の写真は、「S41、3月春山練成会」と裏書があり、
二の鎖小屋の前に集合した各隊のリーダーに、真ん中こちら向きで話をしている方が松長先生だと思いますが、ちょっとお顔が違う様な感じも。
左端 毛糸の帽子は小屋の主、伊藤氏です。(石鎚山回りの小屋の主は全て伊藤氏一族でしたが。)
後方に、鳥居(3m位?)があるはずですが、見えないのは雪にうずもれていたか。?
写真の左上の方、二人いるうちのその左、白い帽子を被ってこちらを向いているのが多分 私です。
このときは、先輩が私の存在を確認して寫してくれたものだと思います。

写真中はキャンプ地の夜明峠に到着したところです。
二人並んで歩いている前の方が多分私です。(あまりよく見えませんが)

稜線の左下側が「お塔の谷」で、場所を選んで、覗けば天柱石が観えました。
右下側は「ういがなる谷」で、ここの峠は西風の通り道で、一晩中テントがパタパタ鳴るのを聞いていました。
でも、樹氷が咲いて美しい風景です。

下の写真は、練成会の会場となった、二の鎖捲き道下で、ピッケルを使っての滑落停止の講習を受けているところです。
ある年の練成会で、ここでザイルワークの訓練を受けていた後輩に、上から転落してきた登山者がぶつかり、
この人は軽傷で済みましたが、後輩は腰椎を痛めて数か月入院しなければならない重傷を負いました。

こうしていると、当時のいろいろなことが思い起こされます。







 

国立科学博物館企画展 深海

 投稿者:愛媛県人  投稿日:2017年 8月15日(火)06時47分6秒
返信・引用
  管理人さん。
おはようございます。

過日、上野の国立科学博物館で開催されてます企画展、(深海)を見てきました。
多種多様な深海魚の他、私個人的に関心のあった、深海資源の標本と解説がとても分かりやすくたいへん勉強になりました。

マンガンノジュールや、チムニーや、黒鉱床などの実物の標本は、キラキラと輝く金属資源のような物が見て取れました。

今の別子銅山の銅鉱石も、何億年前はこんなんだったかのかと思いますと、感慨深いです。
また、地震で地層が動いた証拠となる、岩石も展示されてました。

博物館の売店で、中国産の輝安鉱の標本が、600円ほどで販売してました。
あまり、標本に興味はなかったのですが、その美しさと安さで衝動買いしてしまいました(^^)
 

天柱石の記事

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月14日(月)19時14分6秒
返信・引用
  結晶偏頑様

結晶偏頑様がご教示された
天柱石と修験者について、ちょっと調べますと
「四国の山と谷」(松長晴利著 朋文堂 昭和34年)と
「四国路の旅」(松長晴利著 山と渓谷社 昭和39年)に記載がありました。
後者の記事は
「天柱石は昭和26年十月二十三日、当時愛媛大学農学部学生の三木、神野、藤内の
三氏によって初登攀された。ところが畳一枚位の広さの頂上には
行者が登ったと思われる痕跡があったという。」でした。
痕跡が何かはわかりませんが、護摩を焚いたような炭の跡などかもしれません。
剣岳は錫杖ですから、同じような用具なら貴重な修験遺跡だったと思います。
面河山岳博物館に何か展示されていたような気もするのですが、はっきりしません。
また、何かわかればご教示下さい。
そういえば7月頃の愛媛新聞に
石墨山の赤鬼法性院のミイラ(白骨)が復元された記事がありました。
小生も過去に見つけようとチャレンジしたのですが、見つけられませんでした。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170724-24889701-ehime-l38
http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/koe-4.html

ぜひ、また行って見たいものです。

下写真は天柱石を登攀した際の山内純二氏。
昭和33年3月、北穂高の氷壁で滑落遭難死されました。享年22歳。
(追悼誌 純ちゃん)より
 

「市之川鉱山物語」が売れ残っていました!!

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月14日(月)10時18分21秒
返信・引用
  管理人です。

昨日、愛媛県西条市の「明屋書店 西条本店」に行くと
「市之川鉱山物語」が4冊ほど売れ残っていました。
傍らの紙には「これが最後の入荷です。めったに手に入らない本です。」と書かれていました。
訊くと、地元の某氏からの放出本とのこと。 他の書店では取り扱っていません。
お名前を出すことはここでは控えますが、出版時に纏めて買っていただいたのを憶えています。
最後までご助力を賜り、こころから感謝しております。
まだ入手されていない方、Amazonで注文してもまだ届かない方・・
特にAmazonでご予約の方は、もう届かないとみてよろしいかと存じます。
ぜひ、この機会にお買い求めください。
出版社にも、もう在庫は1冊もありませんので、本当にこれが最後だと思います。

ちなみに、明屋書店西条本店の電話番号は、0897-52-1822 です。

以上、CMでした。(^^;
 

Re: 湯谷口の中央構造線

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月14日(月)00時55分33秒
返信・引用
  結晶偏岩様

天狗岳の崩落・・
安山岩は結構風化に弱いので
結構、あちこちで崩落しているようですね。
天狗岳北面も、これまで数回以上の崩落があって
ロックのルート図の書き換えを要したと聞いています。
おそらく、崩落するときの音はものすごいでしょうから
夜間に聴けば、いわゆる”天狗倒し”として
恐れられたのではないでしょうか?
修験者は、修行が進むと空を飛べる超能力を授かると信じていましたから
天狗岳から飛び降りる人も数多くあったようです。
今宮道に残る三光坊は、そんな修験者をお祭りした祠です。

http://userweb.shikoku.ne.jp/ichirota/020615.html

天柱石はロック難易度は、比較的低いそうですが
それでも、ハーケンもない時代にどのようにして登攀したのか
非常に興味が惹かれます。


愛媛県人様

さっそく、湯谷口を見学されたそうで、うれしく思います。
小生は、1ヶ月ほど前に、静岡県の天竜川沿いの中央構造線を観察してきたのですが
断層の破砕帯が観察されるでけで、あとは草木が生い茂り、よくわかりませんでした。
それに比べると、湯谷口は、まさに日本を横切る大断層が雄大に観察される貴重な場所です。
砥部が天然記念物なら、こちらは特別天然記念物に指定してほしいくらいだとも思っています。
地元の研究者は中央構造線は活断層ではないと結論しているみたいですが
本当にそうなのでしょうか?・・小生は疑問符を???くらいつけているのですが・・
小生が参考にしているHPを2つ挙げておきます。

http://www.geosociety.jp/faq/content0091.html
http://mtl-muse.vill-ooshika.com/gr050306-10.htm

今後とも、よろしくお願いします。

 

湯谷口の中央構造線

 投稿者:愛媛県人  投稿日:2017年 8月13日(日)17時51分51秒
返信・引用
  管理人さん。
こんばんは。

色々な情報ありがとうございます。
たいへん感謝いたします。
ありがとうございました。

管理人さんの、hpを拝読しまして、居ても立っても居られなくなりまして、本日、現地に観察に行って来ました。

橋から見た、露頭は、とても分かりやすく、和泉層、安山岩の貫入、三波川帯と見て取れました。

河原に降りたかっのですが、道がわからず(^^)

でも、良い勉強になりました。

ありがとうございました。
 

Re 天狗岳 天柱石 方解石 磁鉄鉱

 投稿者:結晶偏頑  投稿日:2017年 8月13日(日)02時08分29秒
返信・引用 編集済
  管理人様
天狗岳の写真 ありがとうございます。
墓場尾根など、あの周辺の荒々しい岩壁は、只事ではないと思っていましたが、やっぱりですか。
この世界で言えばスピードが早くないですか。?これじゃあ「西日本最高峰」の座も早晩 危うそうです。天狗岳にはしっかり踏ん張ってもらわないと。

天柱石の修験者の話は、登山現役のころ、四国の山に関するガイドブックで読んだ記憶があります。
初登頂者が、登山者ではなく修験者だったと書いてあったのが、驚きとともに強く印象に残りました。

スポーツ登山が、未だ黎明の時代だったので、こうした先鋭的な若者のグループしか挑戦する者がいなかったのでしょう。
俺たちが一番乗りだと小躍りしたのも束の間、先を越されていたと分かったときのガッカリ感が目に見えるようです。

なぜ修験者だと分かったかというのは、修験者が身に着けているものが置いてあったそうです。

石鎚に籠る修験者は、こうした岩峰や断崖の僅かの巌棚に修行の場を求めると訊いて居たので、
こうした天柱石の天辺は彼らの羨望する恰好の行場だったのではないでしょうか。
そこに到達すれば、新しい境地が開ける。!!

想像するに、多くの修験者が挑んでは撃退されてきて、相当の転落事故もあったのではないでしょうか。
そうなれば尚更のこと、より困難に挑戦するという修験者魂を刺激され、不退転の勇気を示そうとする修験者が後から後から続いても不思議ではない。

それだけに、成功した修験者が、その証拠を残したかったというのも分る気がします。
それはまた、あとから続いた修験者がそれを見たとき、どの宗派の誰であるかが分るものだったとか。

松山人様
お久しぶりです。ご観覧ありがとうございます。

方解石は、長年かけて採りためてきたもので、高殿の豊かな晶系や、地元で採集した、三波川帯で初めての発見となったものは希少だと自負しています。

解説については、何時か、鉱物学者と成った方が、子供のころ、市か町の開催した文化祭のようなイベントで、
マニアが展示してあった鉱物標本に興味を感じてこの道に入ったというのある本でを読んで、
そういう子供が現れてくれたな良いなと、いつもそのことを念頭において展示しています。

高温磁鉄鉱の名称については、ここではちょっと何とも言えませんが。

高温**といえば、管理人様も前出で述べておられますように、
火砕岩の、高温石英のように、その作用を受けたと確認されるものについて冠される用語で、
あそこは関川で採集された鉱物を展示するエリアで、関川でもいろいろのタイプの磁鉄鉱が採集されていますが、
あのタイプは見たことがなく、そうなれば希少なものだと思います。

因みに、当三波川帯は低温高圧型といわれていて、識者にあえて低温の具体的な数値についてきいたところ、
一義的には限定できないが、大まかに400℃付近と考えていいだろうとのことでした。
なので、あえて高温というのは、それをはるかに超える温度だろうと解釈しています。

鉱物名表示に関しては、鑑定に拘わる人や、それぞれいろいろな考え方の人がいて、
遠慮なく直言できる人やそうでない人もいるので、事前に意見を聞かれればですが、
そうでない場合は一旦 展示されたものには、それなりの判断があってのことだろうとこちらから意見を言わないことにしています。

ただ、全体の会合などでは、色や紋様、形象の面白さで、そのことを表現して、出品者が命名するのは自由でよいが、
鉱物名として表示する場合は、正しくなければならないと言い続けてきたところ、段々その方向になってきたので好いことだと思います。

玄関を入ったところに、数百㎏は有ろうかという立派な「鴻島石」にも、以前は成分の解説に「ドロマイト」と表記されているだけで、
これだけではまずいのではないかと感じていましたが、誰かの判断があったのだろうと言えずにいました。

そのうち、何も知らない見学者が事務所に、あれは「ドロマイト」ですか?と聞きにくるようになって、
当時 関わっていた学芸員が、詳しい説明ができなくて困惑、していると相談を受け、
これはやっぱり、修正した方がいいだろうと言うことになり、
私が文案を作成して、総会のとき持参してM先生に添削してもらい、現在の表記を展示するようになりました。

こういう地道な活動が大事だと考えて、コツコツ続けています。









 

Re: 中央構造線 砥部

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月12日(土)07時17分57秒
返信・引用
  愛媛県人様

砥部断層の見学、お疲れ様でした。
ここは、確かに中央構造線の断層には違いないのですが
古い和泉層群が、新しい久万層群(第三紀層)の上に乗っかっている
「衝上断層」が見学できる場所で
和泉層群と三波川帯の結晶片岩が、断層で直接的に接するのを見れる訳ではありません。
結晶片岩は、久万層群の下に隠れているからです。
ダイナミックな大断層が観察できると期待してこられた人は、ガッカリすることも多いとの事です。
三波川帯結晶片岩とのダイナミックな中央構造線を観察するには
西条市丹原町の湯谷口の方が、素晴らしく見栄えがすると思います。
どちらが優れているとか、すごいとかいう問題ではないのですが
湯谷口の方が、非常にわかりやすく壮大であることは否めないと思います。

http://userweb.shikoku.ne.jp/mineral/bessi-40.htm

ぜひ、また一度、お越し下さい。
 

中央構造線 砥部

 投稿者:愛媛県人  投稿日:2017年 8月11日(金)17時37分6秒
返信・引用
  管理人さん。
こんにちは。
私も山登りが好きです。
自然の澄み渡った空気の中、のんびり歩くと、心身共に癒されますよね。

さて、本日、砥部にあります、中央構造線を観察して来ました。
松山市から近いにも関わらず、今まで地質に興味が無かったので、これまで一度も訪れた事がありませんでした。

現地は、とても良く整備されていて説明の看板が分かりやすかったです。

この断層が、かの有名な中央構造線かと思うと気分がたかまりました。

河原に降りて石を観察しました。
変成岩の他、泥岩や石灰のような石も確認しました。

楽しい1日でした。

松山人さん。
忽那山の以前の状況ありがとうございました。
あそこの防波堤でチヌを狙ってましたが、工場の排水が気になりますね。
 

Re:Re:(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月10日(木)22時49分9秒
返信・引用
  松山人様

お久しぶりです。
お元気で、ご活躍のこと、うれしく思います。
かの北川淳一郎先生の言葉に
「登山というものは
その山を知ることに始まり
その山の歴史、地質、その他のもろもろを知り
そして、山に登り
やがて思い出として、命と同化するまでの全てを言う」
と語られています。
たとえ、1回のピークハントで終わった山でも
命と同化するまでには、長い時間で醸さなければなりません。
後で新しいその山の宝を知り、新しい憧れを感じることもしばしばです。
今更ながら、登山は奥が深いと改めて感じる次第です。
松山人さまも、おおいに頑張って下さい。
また、ぜひ、ご一緒したいものです。

 

Re: (無題)

 投稿者:松山人  投稿日:2017年 8月10日(木)00時27分30秒
返信・引用
  管理人様
久し振りにカキコです。
四国の山々を訪れておりますが、ピークハントもコレクションの一種なのでしょうね。記録が増えていく楽しみがあります。道中の自然に親しむのが一番ですけれども。

結晶偏頑様
愛石展を訪れました。いろいろな方解石とその解説が見事でした。
結晶偏頑様が出品されたのではないかもしれないのですが、高温磁鉄鉱なるものを初めて知りました。ひょっとして高温のために磁性が失われた磁鉄鉱なのでしょうか?
恒例のお持ち帰りコーナーで、含クロム透輝石橄欖岩を頂戴しました。ありがとうございました。

愛媛県人様
初めまして。
忽那山は以前、南西の海岸が露頭だったのですが、今は護岸がなされてますね。
山頂まで登ってみたいところですが、冬でも木・草が密生していて近付くこともできないのが残念です。
 

Re: (無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月 8日(火)00時19分29秒
返信・引用
  愛媛県人様

おっしゃる通りです。
すべての産地には、地権者がいる訳ですから
鉱物採集という趣味は、今は社会的規範に合わない趣味となりつつあります。
小生も、そんな鉱物趣味のHPを立ち上げているのですから
多かれ少なかれ、罪の意識を感じます。
できるだけ詳しい産地情報は書かないようには努めているのですが
多くの方が知りたいのは、やはり産地の情報で
そのあたりの加減が難しいですね。

小生は、以前、四国の山にもよく登っていたのですが
「登山はヒトの土地で遊ばせてもらうスポーツ」という言葉に
痛く感銘を受けたのを憶えています。
こちらは、最近は、日本〇名山をはじめ、メディアによる紹介も多いので
山はどこも満員で、マナーの悪さも最悪の状態になっています。
「撮っていいのは写真だけ。残していいのは足跡だけ。」
の原点に戻りたいものです。

さて、小生、今週から10日ほど、四国に帰省します。
今、新しいHPである「阿讃戦国史」の準備をしていますので
古城跡を訪問したり図書館に通ったり、と計画を練っています。
まあ、まず年老いた母の機嫌をとることが一番ですがね・・(^^;
嫁の実家に少し行くだけで「嫁に取り込まれている!」と不機嫌になりますから。
姑と嫁の板挟みで、この歳(今年、還暦を迎えました)になっても、
悩みは、なかなか尽きません。ヤレヤレです。

要らないことを書きました。
暑い日が続きますので、ご自愛のほどを!

 

(無題)

 投稿者:愛媛県人  投稿日:2017年 8月 7日(月)23時19分58秒
返信・引用
  管理人さん。
こんばんは。

忽那山の柘榴石は、あまり珍しくなかったんですね。(笑)

私は、鉱物などの標本を採取してコレクションにすることには、あまり興味がありません。
極力現地で、写真に収め、持参した資料から、なんの鉱物や岩石かを調べます。
それでも、判断出来ないものは、持ち帰れる場所のものは、持ち帰って調べています。
また、分からないものは、博物館さんに伺ったりもします。

私は、四国のど田舎の生まれ育ちでして、当たり前の事なのですが、あの山のここからここまでは、誰の山で、また、荒れた田園であっても、所有している方がご近所さんの誰だということは、わかっていて、その領域を断りも無く犯すということは、常識としてしてはいけない事だと幼い頃から教わって来ました。

ただ、最近は、このような当たり前の事が、当たり前ではなく、無自覚のうちに犯してしまうと言うトラブルが多いと感じてます。
特に都会しか知らない方は、山や田園は、自然のもので、そこで何をしても構わなと言う思いがあるようでして、なんも罪悪感無く所有件のある土地の山菜や草花を採って行ったりされます。

自分も、ひょとして、同じ罪を犯しているのではないかといつも心に留めながら、河原や浜辺など誰でも入れる場所や、公道の脇の転石の石を観察してます。

でも、自分も聖人君子ではないので、これまでなんらかの過ちは犯しているはずで、この反省とこの趣味を長く続けるためにも欲張らず、学問を続けて行きたいと思ってます。

スミマセ。
生意気書きまして。
 

Re: 古本屋で仕入れた愛媛の図書

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 8月 7日(月)00時12分45秒
返信・引用
  愛媛県人様

え~、海岸に戻されたのですか!?
柘榴石は変成鉱物なので
採集できる範囲は結構ありますので
お戻しになる必要はないかと・・
愛媛県人様のお人柄が溢れでているようですね。
愛媛県人様のような愛好家ばかりなら
産地が荒れたり、地権者が出入り禁止にすることもないのですが・・・
その御心を大切にしたいです。

地学関係の古書漁り、頑張ってください。
↓写真は、一世を風靡した「地学のガイドシリーズ 愛媛県 コロナ社発行」です。
愛媛県の地学、鉱物、化石を網羅し、写真、図表も多く、コンパクトな大きさで
学生のフィールド学習にも最適です。
小生も、使い込んで表紙など、もうボロボロです。
ぜひ、どこかで見つけてみてください!

では、また。


 

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