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2019年度企画展 地の宝Ⅱ 比企鉱物標本!

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 9月 8日(日)21時00分9秒
返信・引用
  管理人です。

東京のK様から
現在、京都大学総合博物館で開催中の
特別企画展「地の宝Ⅱ 比企鉱物標本」のガイドブックを送っていただきました。
京都大学に保管される圧巻の市之川鉱山産輝安鉱をはじめ
明治時代の素晴らしい標本が、これまた素晴らしく美しい写真で紹介されています。
和田維四郎の標本と比べても遜色のない、国宝級の鉱物標本だと思います。
「日本鉱物誌」の中でも、「比企」の名前は所々に見られますので
お二人の間に交流があったのは容易に知ることができます。
小生も、別子銅山のルチルについて
岩佐巌と比企、和田の繋がりについて駄文を纏めています。
http://userweb.shikoku.ne.jp/mineral/bessi-33.htm
残念ながら、このルチルの標本はありませんでしたが
まだまだ埋もれている鉱物標本は膨大みたいですので
いつの日か、発見されることを期待しております。

この標本展は、11月3日まで開催されていますので
ぜひ、行かれては如何でしょうか?
大学の紹介HPは、下記です。
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/modules/special/content0073.html

では、また。

 
 

Re: ご無沙汰<m(__)m>

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 8月 7日(水)22時02分0秒
返信・引用
  結晶偏頑様

暑中お見舞い申し上げます。
といっても、明日は早や立秋ですが
このうだるような暑さは、まだまだ続くようです。
「愛媛石の会」の幹事も、何とぞ、よろしくお願い致します。
来年は創立40周年ということもあって
小生も、記念会誌に駄文を投稿しようと思って奮闘中です。
鉱物趣味にハマって20年ということもあり
いままでの、さまざまな思いをそこはかとなく綴ってみました。
結晶偏頑様のお名前も使わせていただいていますので、ご了承のほどを・・(^^
例の乱掘された旧名○○閃石について
せっかくの機会ですので、山荘の安森先生にお尋ねしてみたのですが
荒らされているのをご存じないとのことでした。
崩れたガレ場を補修し草を植えていただいたのは先生とばかり思っていましたので
さぞやお怒りのことと思い、その思いをぜひ書いていただこうと思ったのですが
これは、ちょっと意外でしたし
小生としては、少し救われたような気分にもなりました。
それはともかく、赤石山荘の閉鎖は実に残念です。
ぜひとも存続して頂きたいものです。あの小屋がないと、本当に遭難事故が
多発するかもしれません。
二つ嶽から銅山峰まで、避難小屋の一つもないのは非常に憂慮されます。
昔は峨蔵小屋、河又事務所、石室など無人の避難小屋がありましたが今は赤石小屋だけです。
でも、お客さんがあるたびに、あそこに登れる方はなかなかいないでしょうね。
小生は絶対に無理です。いままで続けられた先生に心から尊敬の念を表します。
せめて、剣山山系に点在するような無人小屋を整備してほしいものです。

季節柄、くれぐれも、ご自愛のほどを・・・


 

ご無沙汰<m(__)m>

 投稿者:結晶偏頑  投稿日:2019年 8月 6日(火)20時33分39秒
返信・引用 編集済
  タイトル通りのご無沙汰失礼いたします。

なんか、今春ころからめっちゃ忙しくて(投稿する暇もなかったかといえばそれほどでもないのですが)強いて言えば 筆も重くなりました。

投稿者の変換が一発でで出てこなかったのが、なんともそれを表していてショックでした。
なんか以前 緩緩浪々などと能天気なことを書き込んでいたのが嘘みたいで、たしかにそのころは、
もう、このへんでのんびりいいかなと思っていたのは事実なんですが。

うん、でもまあ当てにされるというのは まだ使い道があるのかなと、良いほうに解釈して、体に鞭打って奮い立たせているところではあります。
去年、新聞バレ、TBバレがあって、なんや、やってるじゃあないですか!、とあちこちから(皮肉ではない)ご指摘があり、
前々から要請のあった役を引き受けざるを得なかった、というのもあり、幹事も自ら申し出て引き受けた次第です。

当会は、幹事の人数=巡検の回数という運営の仕方ですので、会員が50名いて、幹事が2名というのは少なすぎませんか。?
たしかに、巡検の予定がたてにくい諸般の事情は充分承知していますが、
そんな議論がなされることなく淡々と進んでゆくのに、これでいいのかな?と、おもうことがあって。

総会でも、釣りをしない釣りクラブ、という例え話でちょっと皮肉をいったことがあるのですが、
前のほうに陣取って煩い人やなあと思われているでしょう。
いつか、お会いする機会があれば、その辺のことも含めてじっくりお話がしたいです。

遅くなりましたが、お義母様の具合はいかがでしょうか。
昔の話ですが、母方の叔母も台所で転んで、大腿骨を骨折、そのとき歳も歳だったので、
そのまま寝たきりになるのではないかと周囲がやきもきしたのですが、なんともなく復活、終生 田んぼ仕事をしていました。
平癒を祈念いたしております。

記者会見はそうです。
高校生の盆栽観光ツアーがグランプリを獲得したのに、これはと、盆栽業者が載ったということのようです。
盆栽業者にとっては、天から降ってきた商機ですから。
我々に声がかかったのは、鑑賞石と盆栽は趣向がリンクしているので、その関連と、
ツアープランの中にあった、関川での探石、採集もあるみたいで、その部分に係わってほしいとのことのようです。

英語圏の人を対象に数十人規模の募集をしていましたが、結果的に応募がなくて流れてしまったそうです。
いずれにしても充分な説明も、ないまま終わってしまったので詳細は分かりません。

あのトンネルはそうですね。
いつも日浦側から乗るので、乗ったらすぐに眠ってしまって、急に明るくなって目が覚めたら、あのトンネルでした。
続いて2ツありましたよね。決め手は横幅に対して、上弧(天井)が低いことです。
そこからまた、気合を入れ直して、遠登志への道を下ってゆきました。 懐かしいです。


赤石山荘の安森さんが、よる年波に抗せず閉鎖を発表したところ、存続を求める声が高まり、
署名簿が新居浜市に提出の運びになったと、報道されていました。

署名簿の表紙が日本地質学会になっていました。なるほど、うまいこと取り込みましたね。
鉱物研究の拠点ともいえる場所ですから、市長に手渡す場面が映し出され、市長が応える場面がありましたが、
市もそれなりの対応をする意思を表明したのでしょう.










 

別子銅山の絵葉書??

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 8月 1日(木)07時59分31秒
返信・引用
  管理人です。

暑中、お見舞い申し上げます。
数日前より蒸し暑い酷暑が続き、体力が消耗しますが
どうか、熱中症にならないようご自愛ください。
小生は
相変わらず、本業の方が忙しくて
HPも、ほとんど更新できない状態が続いております。
そんな中、本日は、ちょっと心の和む?絵葉書をご紹介します。
これは、別子銅山の絵葉書として有名な東端索道と四阪島を組み合わせた構図です。
ところが、説明文は、最初から最後まで「生野鉱山」となっております。
まあ、ご愛敬というべきか・・当時のノンビリした世相が偲ばれます。
発行所の記載もありませんが、正当な新居浜の青野雑貨店や北辰社のものではなさそうです。
おそらく、県外で作成された”モグリ”の絵葉書でしょう。
兵庫山中の生野銀山に、船が浮かんでいる写真に、すぐ間違いに気づかなかったのも笑えます。
この絵葉書・・
1回目は落札しようと思ったのですが、あまりの高額に押し上げられて涙を飲みました。
その方は、”エラー絵葉書”と認識して頑張ったのでしょうか?
それとも、生野鉱山の珍しい写真として掘り出し物と思われたのでしょうか?
後者なら、チョッピリ可哀想な気もします。
しばらくして2回目の出品がありましたので、小生はラッキーしました。
いずれにせよ、こうした”エラー絵葉書”は大変珍しく、貴重に思っています。
皆様のご感想は、如何でしょうか?

では、また。


 

ラピス5月号の一部!

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月24日(月)00時11分8秒
返信・引用
  管理人です。

「ラピス」ドイツ語版の
「市之川鉱山」記事の一部を紹介します。
オールカラーで、輝安鉱や鉱山跡の写真で散りばめられています。
リーベ博士と共に写る今は亡き伊藤春見氏にも、涙を誘います。
市之川鉱山について、多くのことを聞かせてくれました。
今も感謝の気持ちでいっぱいです。
おそらく、昭和61年に来山し詳細な英文の報告をされた、ピーター・バンクラフト博士以来の快挙!
おまけに内容が正確で詳細なのも驚嘆に値します。
今も、世界の研究者から熱い視線が向けられているのが如実にわかります。
ぜひ、日本語にも翻訳してもらいたいものです。
そして、今後の鉱山跡の保全と地元からの情報発信を再考してほしいものです。

とりいそぎ。

 

ラピス5月号の表紙!

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月 6日(木)21時39分47秒
返信・引用
  管理人です。

とりあえず、「Lapis」の表紙と、リーベ博士の肖像をupします。
拡大すると、「Ichinokawa Mine, Shikoku, Japan 」とあるのが目に飛び込んできます!
さすがは世界の市之川鉱山!・・地元よりも海外で詳しく紹介されています。
西条市も負けないよう、頑張っていただきたいと思います。
このリーベ博士の写真は、市之川鉱山に詳しい東京の浜崎健児氏の提供です。

 

さて、先日の絵葉書の正解は・・・

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 6月 6日(木)20時56分36秒
返信・引用
  管理人です。

先日の絵葉書の場所は
東平の小マンプ(東平隧道)でした!
第三通洞から東平貯鉱場へ鉱石運搬を運ぶための
軌道用トンネルです。
現在は東平歴史記念館の近くにあり
内部にローダーやカゴ電車が展示されています。
石組やモルタルの練り積み構造も当時のままに残っているようです。
絵葉書を見ると、アーチのキーストーンが飛び出ているように見え
大山祇神を祀っていたのかもしれませんが、現在は見当たりません。
ちなみに
絵葉書では「別子鉱業所東平鉱石運搬電車」と書かれています。
トロリー電車の構造がよくわかる貴重な写真ではないかと思います。

さて、大ニュースです!!
ドイツの鉱物雑誌「Lapis」5月号に
ジョージ リーベ(Jorg Liebe)博士の
市之川鉱山特集号
"Antimonit der Extraklasse:Die Ichinokawa Mine,Shikoku,Japan" が掲載されました!
リーベ博士は鉱山跡にも来訪された世界的に有名なアマチュアの研究家で
全14ページ、カラー図版も豊富に収められています。
今は亡き伊藤春見氏とのスナップ写真もあり、信じられないほどよく調べられた内容となっています。
小生の「市之川鉱山物語」も紹介され、ちょっと気恥しい感じもします。
全文ドイツ語なので、なかなか文章は理解しがたいのですが
写真を見るだけでも、市之川鉱山の偉大さを容易に感得することができ
最新の市之川鉱山の現状と世界中で所蔵される輝安鉱標本の情報を
広く紹介してくれたリーベ博士に、こころから感謝の意を表したいと思います。
また、この情報を提供しコピーをお送りいただいた
東京の楠氏と浜崎氏にも深くお礼を申し上げます。
詳しい内容については次回をお楽しみに・・

では!

 

Re:Re テレビカメラ フラッシュの放列・・・

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 5月23日(木)20時51分25秒
返信・引用
  結晶偏頑様

管理人です。
お返事もせず、大変、失礼いたしました。
実は4月中旬に女房の母が大腿骨骨折を起こし
緊急入院、緊急手術
女房もあわてて帰り、ゴタゴタとした1ケ月でした。
それに加えて、大学も業績を出すことを求められて
論文執筆に今も追い込まれております。
今しばらくは、沈黙の時間が長いと思いますが
今後とも、よろしくお願い申し上げます。
結晶偏頑様もご趣味が多いので
なかなか石に集中できないと思いますが
「愛媛石の会」の幹事をはじめ
ますますのご活躍を念願しております。

ところで記者会見は、盆栽関係ですか?
盆栽と愛媛鉱物を組み合わせると
また面白い世界が拓けるかもしれませんね。
小生は盆栽といえば
林芙美子の短編小説「めかくし鳳凰」を思い出します。
徳島県白地の小西旅館を舞台にした実話小説で
主人公の体験する若い頃の幻想的な怖い体験が妙に印象に残っています。
「めかくし鳳凰」とは盆栽(ツツジ)の名前のようですが
これまたインパクト十分な題名ですね。

さて
今日の絵葉書・・
場所はどこでしょうか?当ててみてください!
とても珍しい絵葉書ではないかと自分では思っています。

では。

 

Re テレビカメラ フラッシュの放列・・・

 投稿者:結晶偏頑  投稿日:2019年 4月10日(水)21時31分9秒
返信・引用
  管理人様

このところ 天気が不順ですね。 園芸趣味泣かせです。
PCの調子も悪いのか、書き込み中に 確認→編集→戻る が巧く動かなくて突然文章が消えてしまったり難儀しました。

掲題のことですが、高校野球甲子園にあやかって、高校生のクラブ活動の成果を競い合う、**甲子園ていうのがあるじゃないですか。
松山には俳句甲子園、四国中央市には書道甲子園(映画化された)のように。

それを、観光甲子園と題して、地場産業などを生かした、観光ツアーのコンテストが開催され、
土居高校が演じた盆栽観光ツアー(赤石五葉松)がグランプリを獲得したそうです。

地元で
大喜びは勿論のこと、盆栽業者が大乗り気で、お披露目記者会見を開催することになり、
そこで、盆栽と愛石趣味は、ほぼ被っているので、会のほうにも参加要請がありました。

で、連絡のあった場所に赴いたのですが、閑散としてしていて、どうしたものかと戸惑っていたら、
場所間違えて連絡した、庁舎のほうだったと再連絡があり引き返したら、なんかざわざわしていて、
この間に、順番が逆で先に、「囲み取材」が終っていたらしい。

状況がよく呑み込めないままでいるときに、打ち合わせのないまま、突然、記者会見がありますのでこちらへと、
いきなりヒナ壇に上げられ、「えっ、え、何々!!!」思う間もなく、カメラとフラッシュの放列を浴びてしまいガチガチになりました。

でも、記者の興味はもっぱら盆栽(五葉松)のほうで、質問は殆どそちらに集中していました。

途中 様子が解かってきたので、隣の事務局長と小声で、事務局長が会の沿革と活動を、
私が、鑑賞石(鴻嶋石)の鉱物的興味について説明するように、打ち合わせして、質問をまっていたのですが、残念ながらありませんでした。

会見自体は、映像とりのためだけの形式のように感じました。
夕方の時間帯で、民放何社かの放映があったらしいですが、観ていません。

去年の、関川取材の放映も、松山のYさんから、「今、やってるよう、観てるう!」と掛かってきたのですが、
「ああ そう?」と言いながら余分な話をしているうちにテレビを点けたら終わってしまっていました。(T_T)

この会、なにかテレビや新聞とのつながり実績があるようで、毎年1~2回 取材があるのですが、私は参加したことありません。出るということには興味ないので。

でも今年は役を引き受けたので、そういう訳にもゆかず、要請があればできるだけ出るようにはしていますが、ちょっと露出過剰気味か。!

天皇陛下即位30年のお祝いがあり、松任谷由実さんが「春よ来い」を歌っていました。名曲だと思います。
春色の暖かそうな和服姿でした。こういう人達って歳とらないんですかね

写真、盆栽品種の「おかめ桜」です。 畑から丸裸で鉢上げして、3年位したら一応ここまで眺められます。
咲いているのは せいぜい1週間ほどですが、世話は年間変わらずです。




 

世界遺産の功罪

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 4月 8日(月)10時27分24秒
返信・引用
  管理人です。

富岡製糸場の「世界遺産」指定とその弊害についての記事が掲載されました。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190408-00027986-president-soci&p=1

その通りだと小生も思います。
こんなものは単なる政治劇です。学問とは何の兼ね合いもありません。
むしろ”百害あって一利なし”の麻薬と同じです。
と書くと、また、どこかからお叱りを受けるかもしれませんが・・

 

嗚呼!古きよき時代の群馬県立自然史博物館!

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 4月 6日(土)08時40分35秒
返信・引用
  管理人です。

先日、富岡製糸場のあと、近くの群馬県立自然史博物館を見学しました。
四国にも関係する三波川帯の語源となった三波川は
このすぐ近くを流れていますので、その展示にも力が入っています。
多くの子供に大人気のティラノザウルスも電動仕掛けでリアルに動くので
現在の愛媛県総合科学博物館のそれと引けを取らない代物ですが
現在の愛媛県の博物館とは、全く異なったものがここにはあります。
それは、受付に2人、入場券売り場に2人、エスカレーター脇に1人
各階のフロアにも角という角に1人づつ・・と
スカッとした帽子とミニの制服に身を包んだ若く美人?の女性が立っていることです。
特に向こうから話しかけてくる訳でもなく
かと言って説明を求めると、親切に標本などを説明してくれるのですが
平日の午後だったので、見学者よりむしろ多いくらいに感じました。
いわゆるコンシェルジュです。決してコンパニオンではありません。
この光景は、外部業者に経営委託する前の
愛媛県総合科学博物館の姿そのものでした。
あの頃は小生も若かったので、見学にかこつけて彼女らの姿をみるのも楽しみで
リピーターとなる原因のひとつでした。
500円を払っても惜しくない選りすぐりの女の子を揃えていましたからね(^^;
愛媛県のセンスの良さに感心したものでした。
ところが、外部委託になった瞬間から彼女らの姿は消え
だだっ広いフロアを孤独に進んでいくしかなくなったのは寂しいことでした。
群馬には愛媛が失ってしまった、懐かしい憧れの空間がまだ残っています。
これが県立の余裕であると、本当にうれしく感じてしまいました。
まあ、昔と違って女房が横にいますので、気安く彼女らと話すことは憚られますがね。
正直、これが群馬県立自然史博物館のもっとも大きな印象です。
不謹慎だというお叱りは甘んじて受けます・・
でも、多くの男性の見学者は本当に楽しそうに回っていました。
小生もまた行きたい場所のひとつとなりました。
三波川帯の研究を口実にして、また訪れることにしましょう。

では、また。

 

富岡製糸場を見学しました。

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 3月16日(土)23時39分32秒
返信・引用
  結晶偏頑様

へぇ~、テレビカメラのフラッシュとはすごいですね。
どのようなことをされたのですか?メールでもお教え頂けるとうれしいです。
とにかく、おめでとうございます。

小生は春休みを利用して群馬県の富岡製糸場を見学してきました。
さすがに世界遺産だけあって平日でも結構な観光客で賑わっていました。
ボランティアの方(↓写真)に案内されて回るのは別子銅山も同じですが
さすがに当時の遺構が多く残されていますので、説得力もあり
郷土の誇りとしての自信と確信に溢れていました。
別子銅山も、そうした方々の活動や熱意は全く負けていないのですが
周囲のサポートや一体感が希薄に感じるのは小生だけでしょうか?
富岡の場合は所有する企業から土地建物一式の市への寄贈を受けて
整備と世界遺産に向けての活動が始まったと言うことです。
肝心の企業サイドのそうした前向きな姿勢が無い限りは
世界遺産への道は入り口で頓挫していると言わざるを得ません。
残念ですが、別子銅山の数々の貴重な施設や一般の鉱山住宅が取り壊された今ではすでに遅く、
政治的にも弱い新居浜は、もはや可能性は極めて少ないのではないでしょうか?
なにより、あの看板が撤去されても、だれも気づかずだれも無関心なのが
一番寂しく、今の新居浜の状況を如実に物語っていると思います。
とは言え、興味を持って熱心に別子を研究している若い人もいますので
少しでも研究の足しになることができれば、と細々と情報を発信している次第です。
まあ、正直いいますと富岡製糸場は何と言っても製糸産業ですので
これで完結していてやはり”軽い”ですね。
採鉱あり選鉱あり精練あり+煙害ありの重く多彩さのある別子の方が小生は断然好きです。
どうか、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

Re・・・発電所

 投稿者:結晶偏頑  投稿日:2019年 3月 7日(木)12時49分4秒
返信・引用 編集済
  管理人様 少しのご無沙汰です

このところ暖かい雨が降って、寒緋桜が開花しました。
古来、この時期に降る暖かい雨を「木の芽起こし」~「菜種梅雨」と詠ませるらしいです。

雨や風など、その季節、降り方、吹き方、その状態に雅名を冠して表現するのは数百通りあるらしく、
自然を細やかにとらえて生きる、日本人の感性はとても好きです。

かって、登山部の部報の編集に関わっているとき、部員対象に、好きな山、花、歌などのアンケートを録ったことがありました。
その整理をしているとき石村部長が、歌に「早春賦」を挙げていたのが記憶に残っています。

たしか小学校の唱歌の時間に習いました。
女の先生でしたが、朗々と歌ったあと、小学生には難解だと思ったのか、歌詞の一節一節を丁寧に解説してくれました。

あらためてyoutubeで検索したら、大勢の女性歌手がカバーしています。芹洋子さんのを選んで聴きました。
行きつ戻りつ、寒暖を繰り返しながら、春にへと移って行く情景がほどよく歌われています。
歌詞を聴いていたら、部長も、かっては若いころ進路に迷っていたことがあったのかと感慨深く思いをいたしました。

この冬は薄氷の張った日が数日あったくらいで、南方人起原の私にとっては有り難かったです。
このまま、一気に春になだれこんでほしいものです。

昨春、行き掛かり上、ある役を引き受けたのですが、引き受けた以上はちゃんとやらねばとあちこち要請に応じて出払っていたら、
新聞バレ、テレビバレがあって、また、それならとあちこちからから声が掛かり、あちらを立てれば、こちらが立たずで、抜き差しならなく・・・

先日は、テレビカメラやフラッシュの放列を浴びて、とても緊張しました。
ん、でもまあ なんらかのお役に立てればと気を奮い起こしているところですが、DIYはまた少しお預けですね。

「明治日本の産業革命遺産」は、あれはそうですよね。リストを見たとき、当地選出の議員は何派なんだろうと思ってしまいました。
考えてみたら、四国には世界遺産が一つも無いんですよね。

唯一別子銅山が最短距離にあり、住友化学の硫酸製造など十分その価値ありで、
発電所などちゃんと整備されていれば、それ自体単独でも、そこに載って行けたと思っていたのですが、もうこれでほぼ消滅しました。
市、市民からもそれを惜しむ声は聞かれませんでした。

石見銀山が切羽(坑道最先端)の観光公開に踏み切ったとの報道があって、見学者から往時の手掘りのノミ跡が観えると好評だそうです。(他所は違うなあ!!)
訊いた話ですが、第四通洞公開の要望が出たとき「安全が保障できない、事故があっても責任とれない」として、
その話は立ち消えになったそうですが、それはそうなんですが・・・
そんなこと言っていたらなにもできない、要は、やる気があるかどうかなんですよ。

数年前、石の会主催で、中央構造線観察巡検があり参加しました。
砥部町の衝上断層、松山市郊外の段丘、湯谷口の露頭、(新居浜市大生院)など、その地域の研究者を招請しての観察はとても準備された良い巡検でした。

砥部町の断層は周辺の整備がとてもよくできていましたが、松山市の段丘は言われてみれば、と言えるもので、
その他も小規模で、個々が分散しすぎていて、中央構造線としての連続して纏まった表現は難しいと感じました。

それよりも、中央構造線は近未来に発生が確実視されている大地震の元凶として、相当ネガチィブな印象が強く働いていて
表舞台にでることには、それによって生じる不利益のほうに抵抗があるようで、そっとしといて、というのが本音のようですよ。

下の写真、マイントピアの付近で鉱物を採集しているときに収集したもので
多分、下部鉄道の枕木に打っていた犬釘だと思われます。

一本一本それぞれ微妙に形が違うのは鍛冶屋で鍛造されたことの証ですね。
この釘を揺らして、SLが快走したんですよね。










 

Re:Re・・・・端出場水力発電所

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月14日(木)09時20分9秒
返信・引用
  結晶偏頑様

貴重な体験談をありがとうございます。
今も入社時の研修登山は行われていると思います。
新聞記事で、ときどき拝見しますので・・・
自分の会社の歴史を知ることは、誇りと自己啓発の意味で
とてもいいことと思いますが、歴史ばかりを強調するあまり
どのようにして銅製品になるのかが今ひとつ理解されていないような気がします。
以前に会社の人と話したことがあるのですが
金属銅がそのまま掘り出されると思っている人が以外と多いそうです。
観光坑道に入っても、そこのところが結構曖昧ですものね・・
あの素晴らしかった吹き寄せや鏡肌標本も、湿気の多い場所に放置されて
輝きも失せ、今は見る影もないと思います。
せっかく寄贈してくれた人の思いを考えると悲しくなりますね。
「明治日本の産業革命遺産」・・・
これは政治力以外の何者でもないでしょう。
学問とはまた別の世界です。
このHP↓の PEOPLE を見てみてください!

http://www.japansmeijiindustrialrevolution.com/

安倍総理の地元ですから、本当は一番に掲載したいところでしょうが
政治力を少しでも隠すために元文部科学大臣にしていますが・・
これくらい錚々たる人々が推薦してくれなければ到底なれないと言うことです。
しかし、近代化遺産に「松下村塾」まであるのは笑えますよね。
考えてみると、新居浜だって、日本で初めてコバルトを精製した
「化学工業」発祥の地ですから、十分にその資格はあると思うのですが・・・
http://userweb.shikoku.ne.jp/mineral/bessi-39.htm
新居浜も、鉱山の歴史ばかりではなく科学史的な要素をもっと取り入れなければ
なかなか難しいのではないかと思っています。
南海地震や中央構造線と搦めれば、さらに関心も高まるのではないでしょうか?
結晶偏頑様のご意見は如何でしょうか?

↓絵葉書は、しつこく端出場水力発電所の絵葉書です。
前回のとほぼ同じ頃の絵葉書で、発行も両方とも「惣開青野雑貨店」ですから
ひょっとすると同じ日に、少しアングルを変えて撮られたものかもしれません。
ほとんど同じ絵葉書でも、微妙に違うものを見つけて
ひとりニヤニヤと不気味にほくそ笑むのも
絵葉書収集の醍醐味のひとつです。(^^;

 

Re・・・・端出場水力発電所

 投稿者:結晶偏頑  投稿日:2019年 2月11日(月)13時05分57秒
返信・引用 編集済
  管理人様

私が勤めていたのは化学だったので、鉱山への家族見学はありませんでした。
ただ入社したとき、同期の者と研修名目の登山を兼ねた見学がありました

コースは、第一日 端出場(見学)→遠登志→東平(見学)→第三通洞(カゴ電)→南光院(泊)
   第二日 南光院→旧別子(歓喜坑)→銅山越え→東平→遠登志

で勿論、稼業中、全コース徒歩でガイドつき、住友の歴史は、まず鉱山の歴史を知ること、というのが基本だったようです。
私自身、歓喜抗の前に立って、その解説を聞いたとき、先人の労苦に思いをはせ、とても感動しました。
南光院への宿泊も今思えばとてもいい経験で、お寺だから精進料理かと思っていたら、サンマの塩焼きがでてきました(*_*;

研修登山は、まとまった人数の定期採用には実施されていたようですが、一貫して継続されていたかどうかはわかりません

余談ですが、鉱山が斜陽になってからでも、住友五社の重鎮の会合では、
必ず鉱山関係者が床の間を背にした上座に座るのが、決まりごとになっていたときいています。
この辺はさすが、伝統と格式を感じます。

化学部門では、装置上機密の事柄も多いことなどで、家族は勿論、外来者の見学なども極力制限されていました。
それでも、私が医薬部門に移ってからは、それらも緩和されて、家族見学会、昼食会などが行われるようになっていました。

世界遺産・・・前投稿に戻りますが、2015年に世界遺産に指定された「明治日本の産業革命遺産」に載っていけなかったのが致命的ですね。
この辺ですよね。あれは何なんでしょうか。?政治力?あの結果を受けて、これは無理、と判断して看板を外したのでしょうか。?

発電所だけでもちゃんと整備されていたら、そこに載っていけたのではないでしょうか。?とても残念です。

下の写真、山田社宅と選鉱場跡です。
唯一 往時の面影を留める角度からの風景です。 1915年頃。?                            ・










 

Re:Re 端出場水力発電所

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 2月 4日(月)01時01分49秒
返信・引用
  結晶偏頑様

発電所やカゴ電車の経験がお有りなのは、羨ましい限りです。
少し話は違いますが
当時は家族に夫の職場を実際に見せる機会を設けていたそうで
坑内を見せることで家族に安心感を持たせ
また、万が一の不測の事態にも説明がしやすいよう配慮されていたそうです。
安森滋先生の「親子三代笹ヶ峰物語」にも基安鉱山の項に「妻達の坑内見学」として写真が載せられていますし
一昨年の別子銅山記念館の「採鉱技術」特別展にも写真があったように記憶しています。
結晶偏頑様も、住友にお勤めになっておられたので
そうした見学も優遇されていたのでしょう。
小生も一度、この眼で稼働している施設を見学したかったのですが
今は叶わぬ夢です。

「世界遺産」の看板が撤去されているのも残念なことです。
前にも書きましたが、こうした運動には企業と自治体と住民の三位一体の協力、さらに政治力も絡んできますので
今の別子銅山の状況では、なかなか難しいと設置したライオンズクラブも踏んだのではないでしょうか?
別子の研究も、伊藤玉男先生がご健在の頃は、「山村文化」を機関誌として
様々の話題が面白く深く研究されていましたが
最近は同じ人の同じような内容のものばかりで、ややマンネリの感があるのは残念なことです。
別子銅山の記憶は、本当に後世に継承されていくのでしょうか?・・不安を感じる今日この頃です。

↓写真は稼働中の端出場水力発電所の絵葉書です。
前にご紹介した水野信太郎教授は、この建物について
「これだけのしっかりした煉瓦造りの建物は国内でも稀で実に美しい。
これが壊れるのは、人が破壊するときだけである。」と言われました。
素晴らしい名言だと思います。

 

Re 端出場水力発電所

 投稿者:結晶偏頑  投稿日:2019年 2月 3日(日)00時29分40秒
返信・引用 編集済
  管理人様

発電所の壁が白く綺麗ですね。私が記憶しているのはもっと汚れていました。
小学校の遠足の時に見学させていただきました。近くにいたら、稼働音が凄くて、殆ど話し声が聞こえないほどでした。

よく考えたら、この発電所も第三通洞のカゴ電も、実際に見聞き体験した最後の世代になりそうです。

それから、前回話していた東平の陶磁器でできたスイッチ(開閉器)は、片手で持ち上げられないほどの大きさと重さだったらしいです。
また、開閉(on,off)は両手で「ヨイショ」という感じで力を入れないと、操作できないと言っていました。
「ドカ弁」ぐらいあったと言っていた記憶があります。

その話を聞いたとき、第三変電所など、主電源部がらみの部所に設置されていたものと思いました。
その方とは、普段そういうやりとりはしたことがなかったが、私がよく山へ行っていたのを知っていて、
声をかけてくれたのに、私自身がのっていかなかったので、それきりになりました。
いまもって残念に思っています。
おもしろいものが沢山あったよ。と言ってました。

前書き込みでTB番組、「朝まで生テレビ」の司会者を、俵総一郎としましたが、田原総一郎の誤りでした。<m(__)m>

下の写真、発電所です。 いつまでこのままで置いておくのでしょうか。?
最近 気が付いたのですが、マイントピアに「別子銅山を世界遺産に」という大きな看板があったのですが撤去されていました。 
 

端出場水力発電所の内部

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月27日(日)02時55分58秒
返信・引用
  結晶偏頑様

第三変電所のご感想、ありがとうございます。
陶器製のボックスも懐かしいですね。
小生の坂出の実家は築70年のボロ家ですが
20年くらい前までは、陶器製のヒューズボックスでした。
ときどきヒューズが切れるので
その都度、ボックスを明けて、自分でヒューズ線を取り替えていました。
ヒューズ線といっても、今風の真空封入タイプではなく
ハンダのような、柔らかい紐状の金属線を、適当にペンチで切って取り付けるのです。
昔は、しばしば切れるので代わりに針金を装着して火事になったそうです。
さすがに電気屋に、半ば呆れられて電源の交換を勧められたのと
母も年を取って、自分で交換できなくなったので”仕方なく”交換しました。
今も、台所の引き出しの中には、巻かれたヒューズ線が眠っています。(^^;
陶器製のヒューズボックスは電気屋が捨てちゃったんだろうな~・・
惜しいことをしました。

↓は、端出場水力発電所の内部の絵葉書です。まあ、珍品ではないでしょうか?
時代は大正期と思いますが
2台並んだシーメンス社製1600kW発電機は圧巻です。
壁面にはメーター類が並び、二人の技師さんが神妙に向かい合って
コントロールしているのは微笑ましい光景ですね。

 

Re 第三変電所

 投稿者:結晶偏頑  投稿日:2019年 1月26日(土)00時17分8秒
返信・引用
  管理人様

内部写真を見ていて、こういう作業環境に違和感がありません。
私が会社勤めを始めたころでも結構これに似た管理室がありましたよ。
根っからのアナログ人間にとっては、郷愁というより現役で残っていて欲しい環境です。

この第三変電所は、登山をしている頃、いつか泊まってやろうと密かに考えていましたが、その機会がありませんでした。
シートと寝袋があればOKですし、炊事は近くに柳谷の取水口があったので可能だったのですが。

今もって残念なことが思い出されます。
それは、東平が閉鎖になった直後に遊びに行った人が、教えてくれたのですが、廃棄物を燃やしたあとに、
面倒なのか、燃えないものが沢山付近の草むらに放り込んであったそうです。

その中に、ボックスが陶磁器でできた大きなスイッチ(業界用語で開閉器)があったので拾ってきたと、両手で抱えるしぐさをしていました。
それから、ほどなくして(数年経っていたかもしれない?)行ってみましたが、綺麗に整地されて痕跡もありませんでした。
その話をきいたときの反応が鈍かったのは、引っ越しをした直後で、
毎日 片付けや手を加えなければならないことがあって、そちらのほうで手いっぱいでした。
いまもって、残念な思いです。

下の写真 選鉱場あとです。  2016年春、 桜とつつじが綺麗です。




 

「第三変電所」の絵葉書・・

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月12日(土)09時51分7秒
返信・引用
  結晶偏頑様

管理人です。お約束?の「第三変電所」内部の絵葉書を添付します。
この施設は端出場水力発電所建設以前の「落し発電所」(90kW)の
変電所として明治37年に建設されました。
30Hz交流の高圧電流を、第三通洞のトロリー電車用直流や家庭用小電力に変換するためです。
しかし、30Hzというのはなかなか難儀なもので
その後、国内が50.60Hzに統一されていきましたので
部品の調達や他電力会社からの融通の際には困ったのではないでしょうか?
家庭内の照明も相当暗かったと想像できます。
それでも、現在も四国内で四国電力とは独立した発電所を有しているのは住友だけですから
まさに小国家・・大したものだと思います。
端出場水力発電所の建物とともに大切にしたいものです。
最近まではガラスもほとんど割れていなかったのですが、次第に荒らされて
内部も次第に荒廃しているようですね。
2,3年前にテレビドラマで入り口の扉を蹴破るシーンなどもありましたが
お芝居と雖も、そうした破壊行為は慎んでいただきたいものです。
また、発電所と変電所は一対ですから、端出場発電所と同等の保存処置がおこなわれて然るべきかとも思います。
ここの板ガラスは、よく見ると小さな気泡が入っています。
これは、当時、日本には板ガラスを作る技術が遅れていましたので
海外から巻かれたロールガラスで輸入し、それを伸展して板ガラスにしていました。
その時に熱で溶かす際に封入したもので、煉瓦とともに明治建築の証でもあると、
講演に来られた北海道浅井学園大学(当時)の水野信太郎教授が仰られていました。

ちなみに
絵葉書はおそらく大正時代、端出場発電所の変電をおこなう東平最盛期の頃のものでしょう。

では、また。

 

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